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TOP BEAT CLUB でした。そしてさらば古名

こんばんは。サイトウシンバです。

先日は荻窪TOP BEAT CLUBでライブでした。ありがとうございました。

1疎外

2天国

3東京

4彗星

5(void)

6うつくしいものたちへ

7生活の代名詞

でした。諸事情で写真は残せず、、まぁ人生には色々ありますから。

このライブでベースの古名飴の夜間飛行ズのライブ活動は終了となりました。残すところ彼の夜間飛行ズとしてやることは現在取り組んでいるアルバムの制作のみとなりました。

一年間よくやった。本当にお疲れさんやで。

古名と私はかれこれ専門に入学してからなので18歳の頃から付き合いがあります。

出会った頃は古名がバンドマンとして割としっかり目に活動をしており、当の私はギターをまた弾けず、しかしバンドの音楽を聴くのが好きでいつかバンドをやってみたいと思っていたぐらいの頃でした。

私が専門の最初の授業の自己紹介で緊張して、変なことをたくさん口走ってしまったのをみて声をかけてきたのが後の古名でした。

彼のベースプレイや使っている機材を見てみるともしかしたらお分かりになった方もいらっしゃるかもしれませんが、彼はストレイテナーなどでベーシストとして活動している日向 秀和氏のファンで、私もストレイテナーを好んで聴いていたため仲良くなるのに時間はかかりませんでした。

その中で私のバンドをやりたいという話を聞いて、彼はスタジオに誘ってくれました。その時に教えてくれたコードがDadd9

これさえあればバンドマンになれるなど適当なことを言い、そのコードだけを俺に教えて、なんかあとは好き勝手やっていました。現在でも奴が俺に吹き込んだDadd9のコードフォームはは私の作る曲には頻回登場しております。(彗星 夜間飛行ズのテーマ等)

その後も度々奴がやっていたバンドのライブを見に行ってみたり、弾き語りを見に行ってみたり、時々スタジオに入ってみたり。

バンドはやれていないもののギターを持って街を歩いてみたり、スタジオのロビーの何ともいえない匂いを知ることができたり、今は何となく慣れてしまった全てのことを教えてくれたのは古名でした。

思えば一度専門の同級生の少しドラムが叩ける男(今は墓穴掘男という名前で毎日noteに日記を書いていて、最後になぜかいつも一句詠んでいる。)と私と古名の3人でvomit port parkというバンドを結成し池袋のスタジオペンタでGOING STEADYのBABY BABYをカバーしたり、その時俺が作った曲を何となくで演奏してみたり。

あの時はいつかこの3人でライブハウスに出ることが夢で、そして振り返ってみれば私の1番の青春時代だった。

スタジオに入る約束をした日はワクワクして授業に身が入らず、いまかいまかと終業のチャイムを待ち侘びて

10-FEETのTAKUMAに憧れて購入したエピフォンのエクスプローラーと古名に唆されて買った、BOSSのSD-1を持ち、学校を飛び出した。スタジオに入るまでの時間を南池袋あたりにある公園で寝そべって過ごした。スタジオの時間になり中に入るけど受付の人はなんか怖く感じた。ギターのコードは4つしか知らなかったし アンプの使い方はいつまで経ってもわからないし、ましてやスタジオのマイクやミキサーの使い方なんかもってのほかだし。

それでもわからないなりにみんなで一曲を演奏することの喜びは大きなものだった。

帰りに受け取って財布に捩じ込んだスタジオペンタの会員証を眺めていると何だか自分もバンドマンになったような気分だった。

しかし、私もその時は接骨院で働いていたし、古名もバンドやバイトがあった。ドラムの彼も一人暮らしで生活費のためにしっかり働いていた。徐々に予定は合わなくなりスタジオに入る機会は減っていった。

そして俺は元々父親からおそわった4つのコードとパワーコードと古名に教えられたDadd9を残し、再びあまりギターを弾かなくなった。

とはいえ学校では会っていたし、時々遊びに行ったりもした。一緒に嫌な思いをしたこともある。

そしていろいろなことが重なり、奴は学校を辞めた。必死に止めたけど普通に辞めていった。そして音楽もやめた。(今考えればここで辞めたからこそ今の彼の生活はあるのだろうから辞めて正解だったとは思う)

一方の私は真面目な性格なのもあり、必死に勉強して国家試験に受かり

柔道整復師として東京で勤め始めた。銀杏BOYZの影響で高円寺に住み、いつかバンドをやろうと再びギターの練習を始めた。

俺がバンドを始めれば、古名も流石に音楽がやりたくなるだろうと、そう思っていた。というか奴にもう一度音楽をさせるためにも俺がバンドをやるしかないと思っていた。学生時代あいつはステージでベースを弾く時が一番楽しそうだったし、バンドを辞めてからあいつはいつも少しつまらなさそうな顔をしていたから。あくまで俺の主観でしかないけれど。

でもそもそも知り合いもいない地でバンド組もうなんていったって、うまくいくはずもなく4年の月日が経った。

そして、バンドメンバー募集掲示板で出会った武藤ダイスケという男とザ・夜間飛行ズとして走り始めた。ここまで長かった。

そして古名は我々の二回目のライブの時にやってきた。流石にこれはどんな形でももう一度音楽をやりたくなるだろうと俺は思っていた。

俺の思惑通り、いや思惑以上だった。奴は夜間飛行ズに入りたいと申し出てきた。もちろん良いに決まっていた。

誰のせいでここまできていると思ってんだ。

お前のせいで俺はバンドをやることを諦めきれずに

一人大してうまくもならないのにギター練習して

いつやれるのかもわからない曲を作り

いざバンド組んでも、金はかかるわ、歌は上手くないわ、曲作るのってなんか大変だし

バンド始めたら俺の人生は変わって、自分に自信が持てると思っていたのに

そんなこともなくて落ち込んだり。

お前のせいだ。

そして

お前のおかげだと思う。

そこからの古名との日々は、数少ないこの文章を読んでいる人なら大体わかる通りだと思う。

もうきっと俺と武藤は古名と並んで演奏することはないんだろうけど

立ち止まるつもりはないが、たまに振り返った時にこの素晴らしかった日々がいつでも見えるように

最後の最後にあいつをアルバムに参加させた。まだできていないけど

アルバムが完成して、再生ボタンを押して。

そうすれば、タカシさんのドラムと武藤のギターと俺の歌と、そして古名のベースが聞こえてくる。

音源が存在する限り何回でも

古名よ一年間ありがとう。まあこの長い文章をはたしてあいつが読むかどうかはわからんが、あんまり国語得意じゃなさそうだし、、、、

またいつかお前が音楽をやることを願っている。ベースでもいいしギターでもいい。ウクレレでもいいんじゃね?

そしてたまにライブに来い。仕事は忙しいだろうが、何だろうが都合をつけて来い。

今度は二度と音楽がやりたくなくなるくらい圧倒的なライブを見せてやれるように、頑張るから。

ま、とはいえ普通に友達なんでこれからも会うだろうけど

何というか古名 飴としてではなく◾️◾️ ◾️◾️(本名)として関わることになるだろうから。

さらば 古名 ということである。

 

 

 

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